ケネス・マクミラン、英国ロイヤル・バレエ「ロミオとジュリエット/Romeo and Juliet」映画館上映

「英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2018/19」のプログラム。

ケネス・マクミランが、イギリスが誇る作家ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』を原作に、プロコフィエフの音楽で、イギリスのロイヤル・バレエに振り付けた作品。初演は1965年で、ロイヤル・バレエの十八番だ。

世界中で有名なこの戯曲の物語は、16世紀のイタリア・ヴェローナの街で、モンタギュー家の当主の一人息子ロミオと、モンタギュー家と敵対するキャピュレット家の当主の一人娘ジュリエットが出会い、ロレンス(ローレンス)神父とジュリエットの乳母の協力でひそかに結婚するも、ロミオの親友マキューシオがジュリエットのいとこティボルトに殺され、逆上したロミオはティボルトを殺してしまい、大公によってヴェローナを追放され、ジュリエットは父親が決めた婚約者パリスとの結婚式を翌日に控えてロレンス神父を訪問し、神父から授けられた秘薬で仮死状態となり、死んだと思った家族によって墓地に入れられ、すぐ目覚めるという神父からの知らせを手違いで受け取れなかったロミオがジュリエットは死んだと思って墓地に来て、事前に入手した毒薬で死に、目覚めたジュリエットはそれを見て短剣で死に、2人を発見した両家の当主夫妻は反省し、大公が改めて平和を保つようにと諭す、というものだ。

ジュリエットは女性ということであまり自由に出歩けないためもあり、出番が多いという意味ではロミオが特に活躍する作品。今回ロミオを踊ったのは、マシュー・ボーンの『白鳥の湖』に主演したというマシュー・ボール。ジュリエットもかなり演技力が要求される役で、ヤスミン・ナグディが踊った。2人とも若々しさがあふれており、見ていてうっとりする。

マクミラン版の『ロミオとジュリエット』は何度か見たことがあるはずだが、映画館の大画面で、ダンサーに寄ったカメラワークのある映像で見ると、細かい演技や演出にも目が行き、いろいろな発見をする楽しみがあった。

マクミランはドラマ(演劇的な)を描くのに長けているが、特にこの作品ではシェイクスピアの原作への敬愛を感じた。イギリスで上演するとなるとそうせざるを得ないところもあるだろう。主演の2人を指導した、かつてマクミランから直接指導を受けてジュリエットを踊ったという女性も、幕間で紹介されたインタビューで、原作の戯曲が好きで、せりふも頭に入っていると語っていた。

シェイクスピアの戯曲は言葉が命。それなのに、せりふが一切ないバレエ(ダンス)で表現するということは至難の業だ。だが、マクミランは、感情や人間関係を動きで実に見事に表現する。例えば、教会での結婚式のシーンの最後、ロミオと別れがたいジュリエットを乳母が抱えてわずかに体を持ち上げ、ジュリエットが足をパタパタ動かすところは、もっと一緒にいたいというジュリエットのはやる気持ちを見事に体で視覚化している。ジュリエットが婚約者のパリスを嫌がり、彼や彼との結婚話からスーッと逃げるときに使われていた、両足で爪先立ちして足を小刻みに動かして移動する動き(おそらくパ・ド・ブレ・クーリュというテクニック)も、「聞かない振りをしたい、なかったことにしたい」という気持ちが表れている。ジュリエットが嫌々パリスと踊る場面も、一緒に踊ってはいるけれど、本当に嫌そうな気持がよく出ている動きだった。

▼「パ・ド・ブレ・クーリュ」について↓

また、マキューシオがティボルトに殺されるシーンは、原作ではマキューシオの悪ふざけが過ぎる性格と、両家の争いに巻き込まれ、ジュリエットと結婚したために理由は言えないがティボルトとは争いたくないとけんかを止めたロミオのせいで刺されたという恨み、死んでいく悔しさなど複雑な感情を表出させるせりふが見事なのだが、それらのことを動きだけでほぼ表現できていると思う。マクミランの振付、恐るべし。

死んだマキューシオに駆け寄って嘆く女性も特異な存在感を放っていて、この女性はキャピュレット夫人だと思って見ていたのだが、直後の幕間で、映像の司会を務めるロイヤル・バレエの元プリンシパル、ダーシー・バッセルが「ティボルトの母親」と言っていた。もしそうなら、原作には登場しない人物だと思う。ロミオがジュリエットに出会う前に思いを寄せていた女性ロザラインとティボルトが良い仲なのかなと思わせる演出もあったが、これも原作には見られない部分だと思う。

※追記:下記サイトの「INFORMATION」のところに「ケネス・マクミランによる振り付けの『ロメオとジュリエット』。本島さんはジュリエットの母親 キャピレット夫人を演じる。ジュリエットのいとこティボルトと不倫関係にあるという裏設定があり、ティボルトがロメオに殺され狂乱するシーンがあるのだとか」とあるので、「ティボルトの母親」というのはやはり間違いだと思う(バッセルが言った英語も日本語字幕もそうなっていたが)。キャピュレット夫人とティボルトが恋仲という演出はしばしば見られる。ティボルトが亡くなったときにキャピュレット夫人が嘆くせりふが意味深に感じられるためか?

ロミオとジュリエットのバルコニー・シーンや寝室のシーンなどのパ・ド・ドゥ(2人の踊り)はロマンチックで、マクミラン振付の『マノン』ほどあからさまではないかもしれないが、それでも結構セクシーで(色っぽく)、ドキドキする。仮死状態のジュリエットをロミオが抱えて踊るパ・ド・ドゥは、生者と死者のダンスということになり、悲しく美しくも怖い独特な魅力を放っている。

▼マクミラン振付、ロイヤル・バレエ『マノン』について↓

原作のシェイクスピアの戯曲は、悲劇であってもコミカル(喜劇的)な要素が入っていて、それが悲劇の効果を一層高めるのだが、マクミランのバレエでも滑稽で笑える場面が随所に織り込まれていた。一方で、街での乱闘のシーンの後、舞台中央に死体となったダンサーたちを積み重ねたり、街で浮浪者のような人を歩かせたりと、戦争や社会の格差を思わせる暗い面ものぞく。幕間に登場した、ケネス・マクミランの下でロイヤル・バレエのプリンシパルを務めたイタリア出身のダンサー、アレッサンドラ・フェリが、マクミランに「舞台でみにくく見えることを恐れてはいけない」と言われたと話し、それを聞いていたダーシー・バッセルもマクミランにそう言われたと話していた。その言葉通り、秘薬を飲んでから苦しむジュリエットの姿は、必然ではないのにマクミランの意図によって強調されて挿入されたと言えるだろう。一時的に仮死状態となるがのちに目覚めるという「秘薬」はおとぎ話めいているが、その薬を飲んだときの反応には人間らしさがにじみ出ていなければならないとでもいうように。

▼アレッサンドラ・フェリのインタビュー↓

墓場のシーンはスピード感があるが、泣ける。『ロミオとジュリエット』は、バレエでも、劇でも、映画でも、たいていマキューシオの死と主役2人の死の場面で泣いてしまう。バレエではプロコフィエフの音楽を聞いただけで涙が刺激される。

今回の生演奏をしたオーケストラの指揮者パーヴェル・ソローキンの動きは、それ自体がダンスのようだった。指揮者はダンサーのようだ。


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【振付】ケネス・マクミラン

【音楽】セルゲイ・プロコフィエフ

【指揮】パーヴェル・ソローキン

【出演】ジュリエット:ヤスミン・ナグディ

ロミオ:マシュー・ボール

マキューシオ:ヴァレンティノ・ズケッティ

ティボルト:ギャリー・エイヴィス

ベンヴォーリオ:ベンジャミン・エラ

パリス:ニコル・エドモンズ

キャピュレット卿:クリストファー・サウンダーズ

キャピュレット夫人:クリスティナ・アレスティス

乳母:クリステン・マクナリー

三人の娼婦:ベアトリス・スティクス=ブルネル、ミカ・ブラッドベリ、ロマニー・パジャック

マンドリン・ダンス:マルセリーノ・サンベ

ローレンス神父:ジョナサン・ハウエルズ

ロザライン:金子扶生

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