振付:パウ・アラン・ジメーノ
出演:小暮香帆、石井順也
サウンドデザイン、映像:尾角典子
構成、美術、プロデュース:石井順也
TPAM2019フリンジ参加作品
協力:セゾン文化財団、駐日スペイン大使館など
ダンスプロジェクト「トポス」は2017年に始動。振付家・ダンサーの3人のうち、パウ・アラン・ジメーノはスペイン出身で、ピナ・バウシュ・ヴッパータール舞踊団の専属ダンサー。「トポス」を主宰し、俳優でもある石井順也はメキシコとカナダで育った。小暮香帆は映画にも出演して踊ったりと幅広く活動。美術家の尾角典子はイギリスを拠点としている。
「トポス(TOPOS)」とは、「デジタル大辞泉」によるとギリシャ語で、「場所。また、文学・芸術などにおける主題」。「トポス」のダンスは確かに、ある「場」に集まった彼らが一緒に何かを丁寧に作るというよりはそっと置いているような雰囲気がある。
会場は、稽古場のような場所。椅子が並べられた客席の正面には大きなガラス窓があり、向こう側には自然光が差し込んでいる。窓の向こう側に据えてある長方形の白い石のようなものが、少し現実離れした空間をつくるのに一役買っている。
最初に聞こえたのは波のような音。石井さんが1人で現れ、ゆっくりと動き始める。自分の体を確かめるような、舞踏のようにも見える動きだ。
ガラス窓の向こうは渡り廊下のようになっていて、気付くとそこを小暮さんが歩いている。小暮さんが部屋に入ってきて、窓にはスクリーンのようなものが下り、会場は薄暗くなる。照明はオレンジ色の光などが使われ、空間が夕方の浜辺のように見えてきたりする。
2人は最初はそれぞれで動いていたように思う。小暮さんの体と踊りは本当に美しい。目が離せないのはどうしてだろう?この後のシーンで気付いたのだが、小暮さんは表情も美しいのだ。ずっと見ていられたらいいのにと思うほど。
しばらく踊った後、2人でそれぞれ、ひもを上方に渡してそこに枝やキラキラ光るブドウのような形のオブジェをぶら下げたり、床に白い小石のようなものを置いたりした。石庭かな?と思った。アートのインスタレーションのようなちょっとした舞台セットが現れる。
石井さんは、「どこから来た?どこにいる?どこへ行くんだろう?」といったことを声に出す。この後も同じような内容を言っていた。ゴーギャンの絵のタイトルを思い出す。アイデンティティーや居場所を問い掛ける言葉だろうか。
2人はそれぞれ、何やらノートに書いている。このダンスは、パウさんが石井さんと交わした対話を書き留めたノートの言葉を基に、パウさんが石井さんと小暮さんに15個のキーワードを渡してそこから各自が想起するものを動きにしてつくっていったらしいので、そのことを端的に表しているのだろうか。
太鼓のような音が聞こえた。
2人は横に並んで体育座り(三角座り)をする。最初は顔を合わせないが、石井さんが歌うと、小暮さんも一緒に歌い、優しくほほ笑み合う。歌は、童謡の「赤とんぼ」や、「上を向いて歩こう」。双方とも知っている歌を一緒に歌うことで、私たちは同じ場所から来たよね、と確認し合っているようだ。たとえ歌詞の言葉は異なっても、同じメロディーの歌を互いに知っていると発見すると、異国・地域の者同士でも途端に近しく感じることがあることを思う。
この和やかな空気は何だろう?少し恥ずかしそうに見つめ合う2人は何だろう?それを見ていた私の、どこか照れくさく感じてしまう温かいこそばゆい気持ちは何だろう?
しかし、その後、立ち上がった2人の関係に変化が訪れる。「何者なのだろう?」と問う石井さんに、小暮さんは「ダンサー」「ミュージシャン」「詩人」「アスリート」というように答える。緊迫した雰囲気だ。
2人は石を激しく投げつけ合い(観客に当たりそうでハラハラ)、それこそアスリートのように取っ組み合いを始める。石井さんに乗っかられて、懸命に這い出し逃れる小暮さん。真剣勝負に見えるのでドキドキ。
でも次第に落ち着きを取り戻し、それぞれ佇み、闇に包まれていく。
とても真摯なダンスだった。昔経験して今はもう忘れかけていたけどまだ手の平に残っている宝物に久しぶりに再会したみたいだった。
公演後、石井さんと小暮さんが観客を前にして今回のダンスについて短く話してくれた。パウさんはこの日の前日にヨーロッパに帰ったらしい。今回のダンスのシーンは、パウさんにとっては「日本の庭」。スペインのアルハンブラ宮殿や日本の伝統的な庭からインスピレーションを得たそうだ。また、公演の美術は、スペインの美術家であるタピエスから石井さんが発想したもの。
創作の基になったキーワードの一部は、「心の傷」「迷い」「葛藤」「うれしい痛み」「庭」「馬が生まれる」など。過去、現在、未来を融合させるのがコンセプト、とおっしゃっていた気がする(石井さんは英語で話していたので、聞き間違いがあるかも)。
ダンスを見ている最中、なんだか2人に加わりたくなった。私はダンサーみたいには踊れないけど、あの「トポス」(場)はどんな動きも存在も許容してくれそうだという錯覚を起こした。もちろん作品の世界を壊してはいけないし、そうしたくもないけれど、例えば、ダンサーたちのダンスを見て、いつの間にか観客も一緒に踊っていて、最後にはダンサーも観客も感じたことを語り合うような、そんな場があったら楽しそうだなあと思う。
パンフレットに記載されていたスーザン・ソンタグの言葉は、胸に突き刺さると同時に心に優しくしみる。
※下記画像は下記の「トポス」のサイトより。
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